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「政治権力とジャーナリズムが結託すれば」――『銀河英雄伝説』に見る民主主義の処方箋

連載「銀河英雄伝説が現代に突きつける言葉たち」第6回(最終回)


本連載では、引用文の出典を「(第○巻・第○章)」の形式で記載しています。引用の母集団は第1巻から第10巻までの読書メモ(一覧表)に基づきます。


目次

はじめに

第1回から拾ってきたのは、民主主義が傷つきやすい「心の癖」――責任の免除、沈黙、信仰めいた国家観だった。第5回までで、戦略と戦術、組織と権力の言葉も見てきた。連載最終回で問いたいのは、では私たちはどうすればいいのかという一点だ。

『銀河英雄伝説』は絶望のカタログではない。むしろ、監視と発言、税制と裁判、歴史と言葉、世代をまたぐ平和――処方の方向まで作品は示している。以下では、その「方向」を名言の束ね方でたどる。


ジャーナリズムが監視者でなくなったとき

自由惑星同盟の政局が荒れるなか、こう警告される。

政治権力とジャーナリズムが結託すれば、民主主義は批判と自浄の能力を欠くようになり、死にいたる病に侵される。(第3巻・第六章)

ジャーナリズムは本来、権力を外部から照らす前提で語られる「第三の権力」だ。だが権力側と情報側が利害を共有し、批判が儀礼化したり、問いが握りつぶされたりすると、民主主義は内部から錆びる。選挙があっても、議会があっても、間違いを炙り出す回路が詰まれば、制度は形骸化する。

現代は、テレビ新聞だけが情報の窓口だった時代とは違う。SNSは誰でも発信できる反面、断片情報と感情の振幅を増幅しやすい。既存メディアへの信頼は揺らぎ、代替として市民メディアや個人発信が存在感を増す――その可能性はある。同時に、監視する側までが派閥化し、確証ばかりを探す回路になると、「結託」とまではいかなくても、作品中に描かれた「自浄の欠如」と同型の穴が開く。

銀英伝が突きつけるのは陰謀論ではなく、もっと地味な話だ。権力は誰かが見ているときほど慎重になる。その「見る者」の独立性が失われた瞬間から、民主主義は静かに病む。


沈黙は、いつも正しいわけじゃない

同じく第3巻第六章には、忍耐と沈黙への冷たい注釈がある。

忍耐と沈黙は、あらゆる状況において美徳となるものではない。たえるべきでないことにたえ、言うべきことを言わずにいれば、相手は際限なく増長し、自己のエゴイズムがどんな場合でも通用する、と思いこむだろう。幼児と権力者を甘やかし、つけあがらせると、ろくな結果にならないのだ。(第3巻・第六章)

「波風を立てない」「空気を読む」は、協調という美名で尊重されがちだ。だが第1回で触れた養父の言葉――積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ――と重ねると、境界線が見える。空気を読むことと、沈黙によって不正や暴走を便宜することは、別だ。

沈黙が美徳でなくなるのは、言うべきことを言わないときである。権力が「どんな場合でも通用する」と学習してしまえば、修復コストは後から跳ね返る。民主主義が面倒なのは、発言と責任がセットだからだ。


税金を預かった雇われ人/信頼は裁判と税制だけでいい

ジャーナリズム批判と並走する形で、政治家への視線は極めて俗っぽく、しかし痛いほど現実的だ。

政治家とは、それほどえらいものかね。私たちは社会の生産になんら寄与しているわけではない。市民がおさめる税金を、公正にかつ効率よく再分配するという任務を託されて、給料をもらってそれに従事しているだけの存在だ。私たちはよく言っても社会機構の寄生虫でしかないのさ。(第3巻・第六章)

そして体制への信頼は、ハレーションではなく制度で測られる。

体制にたいする民衆の信頼をえるには、ふたつのものがあればよい。公平な裁判と、おなじく公平な税制度。ただそれだけだ(第3巻・第二章)

「偉い人」を探す政治は危ない。信頼に足るのは、裁判が機能し、税が公平に見えるという地味な前提だ。ここが崩れると、スローガンやカリスマでは埋められない。

腐敗の向きについても、作品は言い切る。

国家というものは、下から上へむかって腐敗がすすむということは絶対にないのです。まず頂上から腐りはじめる。ひとつの例外もありません(第3巻・第三章)

下は結果として荒れるが、原因は上にありやすい――という認識は、民主主義の監視を「現場の道徳」だけに閉じ込めない。

さらに第四巻では、ヤンの独白として「盗賊」の区別が置かれる。

盗賊に三種類ある、とは、誰が言ったことであっただろうか。暴力によって盗む者、知恵によって盗む者、権力と法によって盗む者……。(第4巻・第四章)

続く文脈は帝国と同盟の力学に踏み込むが、引用の芯はここだ。法の形をとった略奪は、野蛮さより秩序の皮膜があるぶん、検知が遅れる。だからこそ、陪審や報道や税の話は、思想ではなく防波堤の話でもある。


建前は弱者の甲冑、歴史は共有記憶、判断は情報のうえに

メディア批判と一見矛盾するように聞こえるが、第8巻では「建前」が擁護される。

政治上の建前というものは尊重されるべきであろう。それは権力者の暴走を阻止する最大の武器であり、弱者の甲冑であるのだから。(第8巻・第二章)

建前は虚飾ではなく、暴走を遅らせる摩擦になりうる。だからこそ、言葉を軽くしすぎないこととセットだ。

歴史について、ヤンはユリアンにこう語る。

歴史とは、人類全体が共有する記憶のことだ、と思うんだよ、ユリアン。思いだすのもいやなことがあるだろうけど、無視したり忘れたりしてはいけないのじゃないかな(第9巻・第一章)

共有記憶を切り捨てることは、判断の材料を切り捨てることでもある。

言葉については、同じく第九巻第三章に長い比喻がある。

言葉では伝わらないものが、たしかにある。だけど、それは言葉を使いつくした人だけが言えることだ
……
言葉をだいじに使いなさい、ユリアン。そうすれば、ただ沈黙しているより、多くのことをより正確に伝えられるのだからね
……
正しい判断は、正しい情報と正しい分析のうえに、はじめて成立する(第9巻・第三章)

そして第十巻では、希望的観測への嫌悪が繰り返される。

正確な判断をくだすには、豊富で多面的な情報を収集し、それを感情を排除して分析しなくてはならない。もっとも忌むべきは希望的観測であり、勘と称して思考を停止することだった。(第10巻・第二章)

沈黙を戒めつつ、言葉を軽んじない。情報の質と分析の忍耐――ここが荒れる時代の個人の防具になる。


世代をまたぐ平和と、動乱のあとの政治

処方の話は、世代へ落ちていく。ヤンは若い頃から、平和への現実的な態度を語っていた。

恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもののぞみはしない。だが何〸年かの平和でゆたかな時代は存在できた。吾々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手わたされた平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がたもてるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。まあ、それもいいけどね(第1巻・第五章)

恒久平和を信じないからこそ、数十年の平和を維持する責任が浮かび上がる。第九巻には、動乱後の徳の話としてこうある。

平和の無為にたえうる者だけが、最終的な勝者たりうる(第9巻・第三章)

第十巻では、時代の趣味の変化が対照的に述べられる。

英雄や天才を必要とする動乱の季節がすぎて、強烈な個性よりも調整と協力と秩序とがおもんじられるようになる。ヤン・ウェンリーは語ったことがある――天才より凡人の衆知こそよし、と。皇帝ラインハルトは言ったという――平和とは無能が悪徳とされない幸福な時代だ、と。(第10巻・第八章)

そしてユリアンの思索は、「勝ったあと」を見据える。

ゴールデンバウム王朝の時代には存在を許されなかった共存と開明の体制をきずきあげ、平和と統一が自閉と独善と停滞とに変質しないよう、いや、いずれかならず変質するにしても、その時期を遅らせるよう、人智をだしあえばいい、と、ユリアンは思う。(第10巻・第八章)

銀河英雄伝説は英雄を称するが、結末付近では調整・協力・共存へ重みが移っていく。読後に残るのは、「勝利」より「そのあとどう暮らすか」だ。


「政治に関係ない」が奪うもの

連載の円環を閉じる引用が、第十巻にある。

〝政治なんておれたちに関係ないよ〟という一言は、それを発した者にたいする権利剝奪の宣告である。政治は、それを蔑視した者にたいして、かならず復讐するのだ。ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに。(第10巻・第十章)

第1回で触れた「責任免除の快楽」と、第1巻の「世代への平和の預け手」は、ここで一本の線になる。関係ないは自由ではなく、後から効いてくるコストだ。政治は顔を上げて復讐する――想像力とは、その先を見る力だ。


おわりに――問いを残して

『銀河英雄伝説』は、読者に快適な結論を渡し続ける小説ではない。民主と専制、戦争と統治、英雄と凡人――そのたびに投げられるのは、短い解答より長い問いだ。

田中芳樹が三十年以上前に埋め込んだ言葉が今も刺さるのは、制度が古いからではない。人間側の欲望と怠惰と恐怖の配分が、それほど更新されていないからでもある。だからこそ作品は、読み返すたびに新しい顔をする。

この連載が、作品への入口か、再読のきっかけか、どちらかになれば幸いだ。銀河の彼方の戦争は架空でも、その翻訳としての「言葉」は、こちら側の現実に接続され続ける。


初出:読書メモに基づく個人ブログ用原稿。作品引用は版・訳により表記が異なる場合があります。

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この記事を書いた人

人間とは何か、暮らしとは何か。
そんな関心を出発点に、農・経済・歴史・生活・哲学・科学を横断しながら書いています。
食や土地の話を入口に、制度や社会の動きを見つめ、歴史の流れをたどり、哲学で問いを深め、科学で確かめる。
一念三千を胸に、日々のことを少し広く、少し深く考えるブログです。

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