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「安全な場所から戦争を賛美する」――『銀河英雄伝説』が繰り返した怒り

連載「銀河英雄伝説が現代に突きつける言葉たち」第3回


本連載では、引用文の出典を「(第○巻・第○章)」の形式で記載しています。引用の母集団は第1巻から第10巻までの読書メモ(一覧表)に基づきます。


目次

はじめに

第2回では、「正しさの確信」が人を残酷にしうる構造を取り上げた。今回は、その正義や愛国心が誰の犠牲のうえに語られるかに焦点を当てる。

読書メモを一覧にまとめていると、気づくことがある。ほぼ同じ内容の言葉が、巻をまたいで繰り返されていることだ。主語はヤン・ウェンリーだが、そこに乗っている温度は、作者が一度言って終わらせたくなかった何か――後方の安全な場所から、戦争を美しく語り、他人に死を求める論理への怒り――に思える。

『銀河英雄伝説』は英雄譚であると同時に、そうした論理を容赦なく晒す小説でもある。


同じ怒りが、言い換えで何度も語られる

第3巻、ジャーナリズムと政治の腐敗をめぐる流れのなかで、ヤンはこう言う。

人間の行為のなかで、なにがもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力をもった人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送りだすことです。(第3巻・第六章)

やがて第5巻、論調は少し変わり、こうも語られる。

自分が戦場から遠い安全な場所にいるかぎり、権力者たちは、正義と信念とは人命よりはるかに貴重だと主張しつづけるにちがいない。(第5巻・第七章)

そして同じ巻の後半、より個人的な調子で、重ねられる。

私がきらいなのは、自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場にかりたてて後方で安楽な生活を送るような輩です。こういう連中とおなじ旗のもとにいるのは、たえがたい苦痛です(第5巻・第九章)

言い回しは違う。だが刺している箇所は同じだ。リスクを負わない者が、美辞麗句で他者の死を正当化することへの拒否。繰り返しは、推敲のミスではなく、どうしても伝えたい一点の印に読める。


旗のデザインが違うだけで、という不条理

愛国心そのものを、作品は一括りに悪としているわけではない。問題は、その感情が誰の手で、どこに向けられるかだ。

けっきょく、愛国心とは、ふりあおぐ旗のデザインがたがいにことなることを理由として、殺戮を正当化し、ときには強制する心情であり、多くは理性との共存が不可能である。とくに権力者がそれを個人の武器として使用するとき、その害毒の巨大さは想像を絶する。(第5巻・第五章)

「旗のデザインが違う」という言い方は、冷たい。だが比喩としての鋭さがある。陣営を分ける記号の違いだけで、殺し合いが正当化される。しかもそれを権力が武器として振るうとき、愛国心は防具ではなく刃になる。

読者が自分の社会に置き換える余地を、作品は意図的に残している。


軍事は政治の代わりになれない

怒りの矛先は、メディアや煽る言葉だけにとどまらない。軍事力を政治の不足分に充てようとする発想にも、ヤンは歯を立てる。

軍事が政治の不毛をおぎなうことはできない。それは歴史上の事実であり、政治の水準において劣悪な国家が最終的な軍事的成功をおさめた例はない。強大な征服者は、その前にかならず有為の政治家だった。政治は軍事上の失敗をつぐなうことができる。だが、その逆は真でありえない。軍事とは政治の一部分、しかももっとも獰猛でもっとも非文明的でもっとも拙劣な一部分でしかないのだ。その事実を認めず、軍事力を万能の霊薬のように思いこむのは、無能な政治家と、傲慢な軍人と、彼らの精神的奴隷となった人々だけなのである。(第4巻・第五章)

軍事は「政治の一部」であり、そのうえでもっとも獰猛で、もっとも拙劣な一部だという指摘は、覚悟のいる言葉だ。外交や統治の失敗を、武力で塗りつぶせると信じるほど、長くは持たない――という歴史観が背後にある。

現代の安全保障の議論でも、数字や装備だけが先行し、政治の質や信頼の蓄積がすり抜け落ちがちだ。銀河の話は、そこに手を伸ばす。


物語の後半――卑劣さと、犠牲か妥協か

ヤンが生きているあいだの怒りは、ユリアンの世代へと引き継がれる。後半巻で、こうした独白が差し込まれる。

たぶん人間は自分で考えているよりもはるかに卑劣なことができるのだと思います。平和で順境にあれば、そんな自分自身を再発見せずにすむのでしょうけど……(第7巻・第七章)

英雄の死後の物語は、理想の喪失だけではない。平和な日常が、自分の内側の線を鈍らせることへの気づきでもある。第2回で論じた「正義の確信」と、第3回の「後方の論理」は、悪い人だけの問題ではない。

さらに第10巻では、倫理が単純な善悪で片づかない場面が示される。

戦いによってもたらされる犠牲を承知して、なお目的を達しようとするか、その手前であきらめ、現実と妥協し、さらには現実にひざを屈し、自力で状況を改善する努力をおこたるか。どちらが人として認められる生きかたか。(第10巻・第二章)

犠牲を飲むか、妥協するか――どちらも痛い。作品は読者に答えを渡さない。だが、戦争を美辞で飾ることと、自分で代償を引き受けることは別だ、という区別ははっきりしている。


まとめ・次回予告

『銀河英雄伝説』に込められた怒りのひとつは、銀河の彼方の話では終わらない。安全圏から他者の死を語る構造は、技術やメディアが変わっても形を変えて現れる。

次回は、ヤンがユリアンに繰り返し伝えた言葉――国家はたんなる道具にすぎない――を手がかりに、国家観と個人の自由を読み解く。


初出:読書メモに基づく個人ブログ用原稿。作品引用は版・訳により表記が異なる場合があります。

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この記事を書いた人

人間とは何か、暮らしとは何か。
そんな関心を出発点に、農・経済・歴史・生活・哲学・科学を横断しながら書いています。
食や土地の話を入口に、制度や社会の動きを見つめ、歴史の流れをたどり、哲学で問いを深め、科学で確かめる。
一念三千を胸に、日々のことを少し広く、少し深く考えるブログです。

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